どうも、しゅらです。
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本当はもっとアパレル時代で書こうと思ってたのですが、これ以上書いてかみさんにばれたら本当にやばそうなので、一旦休止にしときますw
なので、次に書く「しゅらの地獄の運送屋時代!」に至る借金400万の話しを書こうと思います。
赤いカードは死のカード
アパレルに入って直ぐに、赤いカード(○井のカード)を作らされ、そこから借金が始まりました。
入社して直ぐスーツが無いので、自分の店でプロパー(定価)で2着買わされましたw
それで直ぐに12万の借金。 18歳でも直ぐに審査通っちゃいますから恐ろしいですよね。
その時は「カードってすげーー!」って思いました。こんなに簡単にお金が直ぐに手に入るのかとw
その金は自分の金じゃないのに・・・・。
先輩も「大丈夫だよ、年とって遊ぶより今若いときに遊んだ方がいいんだから!」と言ってキャシングしまくって飲みにいってました。
自分もその時は思っちゃったのですよね「確かに年取ってスナック(当時はキャバクラ無かったですw)にはまるより、若い時に女の子と遊んだ方が良いわ!」とw
それはある意味正解でしたが・・・。
バブルの名残の終焉
自分がアパレルやってた頃は、まだバブルが少し残ってました。
東京に、お店の応援に行ったり、展示会に行くのが楽しかったですね~。
どこ行っても人がいっぱい居て、夜も2.3時になってもわんさかいました。
今は全然東京、特に新宿とか行かないけど、どうなのかな。
でも、それも入社3年ぐらいの時には明らかに不景気になって行きました。
お金が無いと、衣・食・住で何削る?ってなった時、一番切りやすいのは衣(服)ですよね。
直ぐにうちらDCブランドに不景気が圧し掛かってきました。
売り上げの悪い店舗は閉店になって行き、セール品置き場に。
自分はその頃、店長をやってたのですがほんと暇でした。
1日売り場にいて、お客さん来たのが3人くらいとか平気でありました。
売り上げは前年対比で50%以下w
仕方ないので、自分で買って売り上げ計上してました。
そりゃあ借金膨らみますわ。
毎日行ってた飲み会・ディスコ・カラオケも週に2.3回になっていきました。
それでも週に2.3回もよく行ってたな~って思います。
自分は20歳の時に、親と喧嘩別れのように家を出て一人暮らししてましたので、毎月が火の車でしたね。 なので、アパートの傍のカラオケボックスで夜バイトもしてました。
それでも先は見えてましたね・・・。
多重債務者
当時はこういう言葉あったかな・・・多重債務者って。
もう入社4年目の22歳の時には「こりゃやばいな」という状態になってきました。
規制が入る前だったからか、22歳のガキによく貸したなってくらい借りれましたね。
総額400万ちょい借金背負ってましたからw
アコム・武富士・レイク・アイフルとほぼ全てを網羅しました。
あとニコニコクレジットもあったかな~・・・・。月の支払いが15万くらいでしたから。
遊んでた先輩達もみんな辞めてきました。
親に払って貰った人や、闇カジノに行った人、逃げちゃった人等々・・・。
闇カジノの人はやばかったな。あとで聞くところによると、そこの89○さんの金を奪って逃げたとか何とか・・・・今生きてるのかな~・・・・。
400万借金あるのに結婚話し
当時、別れた前のかみさんと付き合ってました。
2歳年上の短大卒でしたが、仕事が嫌になったので辞めたいと言ってきました。
そこで何を思ったか「じゃあ結婚しようか」と言ってしまい、400万借金あるのに結婚する事にw
今思えば、踏ん切りが欲しかったのかもしれません。 地獄へ行く為の。
当時は債務整理とかあんまり聞かなかったからか、全く考えませんでした。
「自分で遊んだのだから、自分で返すのが当たり前だものな」と。
そういえば、辞める時に「借金返して結婚するので、○○運送屋に行ってきます!」と言った時、みんな「無理だよ、あそこはほんと地獄みたいだよ」とか色々言われましたが、M店長(当時は副社長だった)が「おまえなら出来るだろ」と簡単に言われたのが印象的でした。
そして、借金400万を背負って○○運送屋に突撃しました。
次回、「しゅら地獄の運送屋時代! 声が出なくなる!」をお送り致します。