どうも、しゅらです。
現在は運送屋という「おしゃれ」とは全く無縁の世界で働いておりますが、昔は「ハウスマヌカン」(バブル時代のショップで働く女性店員の日本で生まれた造語名称)・・・いや、ファッションコーディネーターと言われる職業についておりました。
前にちょろっと書きましたが、電車で通勤中に先輩のスーツ姿がかっこよくて入社してしまったのです。
それまでは中学は野球部、高校は陸上部で体育会系だったのですが、この時期の18歳~22歳で、軟派になり物凄く堕落した日々を送っておりました。
でも振り返ってみると、洋服屋もそれなりに頑張って売ってましたね~。
売れるようになるまでは大変でしたが^^;
高校まではジャージ命
これ、いま考えるとほんとバカだなと思いますが、高校まで「おしゃれ」なんて興味全くないのに、なんで洋服屋になったのかw
だって、高校までは部活ばっかりだからジャージ命でしたからね。
当時はナイキとスーパースターが大好きで、たまにニューバランスの靴を買ってたな~。
しかもジャージは上着を上に出さずに、下にインしてましたからね・・・。
普段着はジーパンにTシャツ、冬はスタジャンですわw
それで〇井のなかでDCブランドスーツを売ることになるなんて・・・わからんもんです。
スーツ名称基礎知識を渡される
入社して直ぐ、普通なら研修とかがあると思うのですが、当時はそんなもの無かったです。
夜でもサングラス店長「おい、しゅら、客きたから接客しろ。」
は!!?
とりあえず、先輩の見よう見まねで売ろうとするのですが、やっぱり売れるわけがないw
入社初日がそれですからね。
ちょっとしょげてると、夜サン店長から「おい、これ読んどけや。」と1冊の「スーツ名称基礎知識」みたいな本を渡されました。
これがまたさっぱりわからんのですよw
ラペル(襟のとこ)なんてピークドとかノッチドとか・・・覚えるの大変でした。
専門用語を出して出来る店員と思わせる
でも、この名称を覚えると、お客様に説明出来るので、反応が全く違いました。
いま思えば当たり前の事ですが、自社の商品説明が出来ないのに売れる訳が無いですよね。
なので、こちらから専門用語をバンバンだして、「この店員さんできる!」と思わせて売る作戦で、若い20代前半の人には割と売れるようになりました。
あの頃はほんと「いきおい」で売ってましたね~。
でも、30代より上の人には、「うわべの軽い知識」が見透かされてか、なかなか売れないのがネックでした。
ただ、その時は店長もいたので、役割分担で「20代はしゅら」、「30代以降は夜サン店長」と分担して販売出来たので良かったです。
外見を変えて30代にみせる
1年ぐらいしたら「しゅら、〇〇店で1人店長やれ。」と言われました。
1年で店長って凄い!と思うかもしれませんが、1人なので何も凄くないですw
これがほんと大変でした。
だって、トイレ行ってる間に他のショップの人に客取られることありますからね。
これもよく隣のショップともめましたね~・・・・。
そんな感じで、1人でオールマイティーに売らなくてはならない!となり、作戦を考えました。
題して・・・・「外見を30代以上に見えるようにして渋い店員しゅらになる!」作戦です。
まずは、当時、吉田栄作に憧れてた髪型をポマードでなでつけてオールバックに。
そして当時、「色白しゅらちゃん」と可愛がられてた色白肌を、日焼けサロンで黒くする。
そして、最後に・・・・ヒゲ。
これがまたうまくいったのですよw
話し方も変えたのが良かったのかもしれませんがね。
それまでの、話し倒すという接客よりもぼそぼそと「これがお勧めです。」だけで決まる感じのが増えました。
当時はお客さんに年を聞かれたら「32歳です。」って答えても疑われませんでしたからね。
よっぽど落ち着いて見えたのか。
あの頃の接客術は今でも役立つ
こうやって書きながら振り返ると「あの頃の接客術って、今でも活きているな。」と感じます。
販売員やっていると、ある程度「この客は買いに来ている、ただ見に来ている」というのは解るようになり、観察力が付きます。
この観察力って、営業などの交渉やクレームのとき謝罪に行くのにも役立ちますからね。
「この人が何を考えて、何を望んでいるのか。」
人生、無駄な事は無いと思います。
ただひとつ・・・・女遊びは覚えないほうが良かった。
次回「しゅらアパレル時代!トイレで襲わされる!」お楽しみに!